世界一周を終えて 23

船内の部屋には一台ずつテレビが設置されている。当然電波放送ではなく船が今日一日流す映画を選んで流しているものだ。ジャンルは様々だがタイタニックや虎と漂流するライフ・オブ・パイなど船の中で見るにはちょっと不吉なのではと思う沈没ものも流していた。私は三時間くらいのお昼休憩時間中にベットに横になりながらその放送を見るのが楽しみだった。船内には本棚があり自由に借りられたので読書の時間もつくって読んでいた。確かそこで船内で殺人が起こるミステリーを借りた。特別な状況で何かが起こる話がもともと好きなのだが、更に自分と同じで船に乗船している状況と船で起こる事件の話が重なりスリルが楽しめるので特に好んで選んでいた。本棚にはお客さんが持ってきたけどいらなくなった本も置いてある。お客さんの立場からして毎日あるイベントや企画参加に疲れ一人になりたい時もこうした娯楽で楽しめる。ただ毎日変わる空や海の色を見ているだけでも充実した時間を過ごせると思う。

 

乗船もいよいよ後2.3週間後という時に事が起こった。お客さんが一人いなくなった。それをマッサージ室と受付が同じで仲が良かったサウナ担当のスタッフから聞いた。ロシアの方で英語が得意ではなかった彼女とは、普段伝えたいことがあるときは英語の単語とジェスチャーでなんとかコミュニケーションをとっていた。その時は船内放送で何度もお客さんを呼び出す放送がかかっていた。急にサウナの人が指を上に向けて「Man Lost」といってきた。おそらく放送のことを指さしているんだろうなあと分かったがMan lostの意味が分からなかった。Man lost、男、失うなんだろう、それは?と疑問符がいっぱいで中々その人が伝えたかった意味が分からずにイライラしてきた。仕事が終わった後に英語が分かる上司に見せたら一瞬で顔が真っ青に変わった。普通地上にいれば部屋から数日いなくなっても可笑しくはないが、船で出港した後行方不明になるということは落ちた以外考えられない。それがなぜ分かったかというといつも部屋を綺麗にしにくるハウスキーパーさんが、何日か部屋を使った形跡がなかったことから判明したことなんだと思う。思えば船から人がいつ落ちても不思議ではない。監視カメラがついているが人が何千人と乗っていて、その目を掻い潜り、柵を越えることはできる。事件、事故、自殺か分からないままだったが、私は人生いつ死ぬか分からないなら好きなことをしていきたいと強く思った。

 

実は乗船する前に母に進められて生命保険に加入した。幼い頃身体が弱かった私は母が心配するのを振り切り好奇心のまま外にでることが多かった。船に乗ると決まったときも反対されたが私が引かずにいると心配ながら応援してくれた。母からすると船に乗せた時にもうこの子は死んだと思って生命保険に入れたのだと思う。船を下りてまた船に乗るまで半年空くことになる。ここで絵を描くのを我慢して鍼灸師として働くのはなんて時間の無駄なんだろうと感じてしまった。好きなことが分かっていて好きなことをしたくて資格をとって良い作品をつくりたいために世界一周して、こんなに絵を描きたがっているのに他のことを仕事にするのは心底可笑しい。材料はそろった、鍼灸師をやめて画家になろうと決意した瞬間である。

人は死を意識した瞬間に生を考える。私は魂は無限大の時間の中で生きていると思っているが、肉体は有限である。限りある生を絵に使いたいと思った。

 

下船から今年でちょうど6年がたった。下船後もいろんな経験をしたしたくさんの方との出会いに恵まれた。なにより鍼灸師として23歳で乗船し世界一周したという経験が私に自信と強さを与えてくれた。

私は2016年アールデビュタントURAWAという若手アーティストのオーディションに入選し、私は百貨店で画家デビューをした。あれから私が描く絵も以前の物とモチーフは変わったが、画家として作品をこの世界に残したいという思いが更に強くなった。

2019年、令和になりまた多くの願いを叶えようと思う。

一歩ずつ私の理想の姿と自分自身が重なっていくのがとても楽しみだ。